2017年 05月 16日 ( 2 )

懸賞 懸賞

懸賞 2017年 05月 16日 懸賞

さて…
戦前、今の千日前にあるビックカメラの場所、南区難波4町と呼ばれていたそうで、そこに《歌舞伎座》がありました。戦争で焼け野原になり、難波駅前に作り変えられ、また壊され今は上本町に移転してますね。

 私の父親は戦前、その前辺りで、家族6人で暮らしていたらしく、祖父は働き者で生活は豊か?だったのか、室内用の子供滑り台があったそうです。
 空襲にあい、死人を乗り越え市営地下鉄に逃げ込み梅田まで歩き、阪急電車にのり京都にある祖母の里に逃げ込んだらしい。
 
西院で借家に住み生活していたが、祖父の急死により、その後の生活は悲惨を極めたようでした。私の父は当時まだ5歳。
 西院から西京極の、郡(こおり)の墓地まで桶型の棺に昔は土葬でしたから、亡骸をいれ、大八車にのせ、小雨降る寒いなか地道をごろごろと押して行った時の話を父親より直に聞いたことがあります。父親は、寒くて暗くて、遠くて、大変悲しい思い出だったようでした。
 当日は田んぼや畑だらけで、西院から嵐山までよーく見渡せたそうです。

 借家を追い出され、親戚を頼り、鶏小屋と納屋を貸してもらいバラック生活。
 台風がくると、トタン屋根が吹き飛ばされ家財道具もバラバラになる様子を、刈り取り済んだ田んぼの稲にしがみつきながら、みているしかなかったとか。

 祖母は再婚したようですが、それもまた死別。
小学生になり新聞配達や西京極球場でかち割り氷を売ったり、近くに住んでいた朝鮮の人に川で捕ってきたザリガニを売ったり…いろいろ働いて家計を、たすけていたようです。
父親は、新聞配達と関連する書籍販売もよく頑張ったらしく、大阪の新聞社から感謝状と記念品をもらたようでした。
 まだまだ道路は舗装されてなく、砂利道に黒塗り高級車がそのバラックの前に止まり、黒いスーツの男性二人がやってきたと言うことです。

 
 青春時代、私の父親は、私の母親と出会い結婚を決め、私の父親の住む家バラックハウスを見に来た祖父(母親の父)はあまりにみすぼらしさに、多分それだけではなかったであろうが……は、
結婚に大反対、式には行かない!と当時激怒したほどであったらしい。何故こんな家に嫁がせないといかんのだ!と。(結局は出席してましたが)
 
 私の母親が言うには、私の父親は戦争の被害者だと。あんな戦争のせいで、幸せな生活が一変したんだ、と。
 何処までが、忠実な話かはよくわかりませんが、大筋そのようなことであったようです。
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by kimie0102 | 2017-05-16 23:59 | 未分類

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懸賞 2017年 05月 16日 懸賞

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皆様今日わ

 実は父親が手術の甲斐なく11日午前4時に亡くなりました。
 三時半頃に突然電話がなりました。母親からで、病院から救命措置をするからと電話があったようでした。
 それから間もなく心臓停止、心臓マッサージなどを施したが駄目であったらしい。
 阪急電車の始発は5時、しかも特急なく、各駅停車。究極レンタカーをかり、けいじろうさんに運転してもらい、高速道路を走り病院に駆けつけましたが、遅すぎました。身内はだれも間に合いませんでした。
 
 父親は顔などをきれいにしてもらい、到着した葬儀社のストレッチャーにのせられ布を被せられた父親が、自宅に無言の帰宅となりました。

 火曜日夜、手術担当して頂いた医師の説明とは、異なる事態になり私も母親も唖然と、また呆然としてました。
 仏間に布団などしき、父親を安置し袈裟衣のような掛布を被せ、綿枕をつくり、化粧を少し施し…
 そうしてから父親の顔を初めて見ました。死にたて直後ですから、まさに眠っているようでした。

 葬儀社と様々な打合せをし、役場に提出する書類にサインし、遺影用写真を探し…(現代はスマホと言う便利なツールがありますね。高解像度でたまたま2カ月前に撮影したのが保存されていたのを使用することに。メールで葬儀社に転送)

7時になりお寺に電話し、住職さんが8時に来て下さいました。
 
 火葬場が友引金曜日のためとお休みのため、土曜日通夜、日曜日出棺に。
金曜日は中休み状態となり、身内は気持ちも体も楽になりました。
 でなくば、本当に、あれよあれよとバタバタしてしまっていた事でしょう。
 (木)も(金)も良い天候で、花が咲きウグイスの鳴き声が聞こえ、穏やかで静かな自宅に父親は帰ってきました。
 赤ちゃんの頃より眼が大きく男前な父親でしたが、仏様になっても綺麗で穏やか顔をしていました。
 
亡くなってから、丸一日経過した朝、お顔の白い布を外す行為、実はちょっと怖かったです。なんか変になってないか…。とか。
 人が亡くなると何故こんなに恐いでしょうか?死に対する畏怖の念?なのでしょうか。 でも父親の顔はそのままで、遠目には本当に眠っているかのようでした。

 
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by kimie0102 | 2017-05-16 23:59 | 未分類